2011年10月12日

坂本龍馬のお墓(明治維新新史跡「旧霊山(りょうぜん)官修墳墓」)

坂本龍馬のお墓 (明治維新新史跡「旧霊山官修墳墓」)
 


念願だった龍馬のお墓参り、行ってきました〜。

京都 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓
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大人300円になります


京都 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓 案内板.JPG
                 
             入口        柵の用に見える(見晴台の手すり)所が
                       龍馬と中岡のお墓
                         柵の上に龍馬が立って中岡がしゃがんでいる像

石段を登って行くと案内板があります。
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓は比較的近くにあります。
木戸孝允(桂小五郎)の墓は左の一番上にあります。


京都 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓
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坂本龍馬(左)と中岡慎太郎(右)のお墓


京都 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓
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坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓


京都 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓
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坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の
右側に2人の像があります


京都 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓
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坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の
右側にある2人の像


京都 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓
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坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の
右側にある2人の像


京都 坂本龍馬と中岡慎太郎の最期
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坂本龍馬と中岡慎太郎の最期(立札)


京都 坂本龍馬と中岡慎太郎の最期
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坂本龍馬と中岡慎太郎の最期


京都 坂本龍馬の墓 池田屋事変
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池田屋事変(立札)



京都 坂本龍馬の墓 池田屋事変
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池田屋事変


京都 坂本龍馬の墓13-2.jpg
 塔が見えます
それのずっと向こうもう少し左?ぐらいが
京都タワー(京都駅方面)だと思います。

坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓からみえる景色
この日は曇っていましたが、見晴らしがいいです。


京都 坂本龍馬の墓11-2.jpg
↑     左のずっと向こうが嵐山方面          
                         
     おそらく金閣寺方面        
                         ↑
            右端の真中辺りの森は御所だと思います

坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓からみえる景色
綺麗な景色が望めます。






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2011年09月07日

坂本龍馬・京都伏見付近観光

坂本龍馬・京都・伏見付近観光


伏見で坂本龍馬のたどった道は、「寺田屋」から三吉慎蔵とともに
脱出したことです。龍馬が駆け抜けたルートにそって、
龍馬通り商店街を楽しむことが出来ます。

名神高速の京都南インターより南側になります。
JR京都駅からでは近鉄京都線が良いかもしれません。
JR線を使えば東福寺や伏見稲荷も散策してもいいかもしれません。
伏見桃山城などもあります。

龍馬がたどった
■寺田屋 ■西岸寺 ■材木納屋跡 ■伏見薩摩藩邸跡(石碑)
を表示してみました。







■寺田屋

京都 寺田屋s.jpg


龍馬が泊まっていた船宿。
この辺りは、三十石船が往来し栄えていました。
お龍が入浴中に捕り方に気付き龍馬と三吉慎蔵を逃がした
エピソードが有名。

三吉慎蔵・・・長府藩士で宝蔵院流の槍の使い手。長府藩より京都の情勢を探るよう命じられ、龍馬と共に伏見・寺田屋に入りました。

宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)
奈良の興福寺の僧宝蔵院覚禅房胤栄が創始した十文字槍を使った槍術。薙刀術も伝承していた。 初代宝蔵院覚禅房胤栄、2代目の胤舜(いんしゅん)の時代に、宮本武蔵が武者修行でしばらく逗留していた所として知られています。


この事件は、慶応2年1月22日、龍馬が薩長連合の密約を
成立させた翌日寺田屋に泊まっていました。
その日の深夜、薩長の不審な動きを察知した伏見奉行の
林忠交肥後守の捕り方が捕縛もしくは暗殺しようとした事件です。

龍馬らは、拳銃や手槍で防戦しながら捕り方数名を殺傷します。
このときに持っていたピストルが、高杉晋作が上海で買って護身用にプレゼントされたスミス&ウェッソンです。弾倉の交換が銃身を上方に折り曲げる着脱式のため、銃の玉を補充するときに弾倉を落としてしまいます。

自らも左右手の親指を負傷しながらも、三吉慎蔵の活躍もあり、
脱出に成功しました。

女将・お登勢は、人の世話好きだったことから、
龍馬など尊皇攘夷の志士をたびたびかくまったり、手助けをしており、
幕府からにらまれ危険人物として牢に入れられたこともある人物です。
武士達の人望が厚いことで有名でした。
今では近所の「お登勢明神」に、祀られています。

坂本龍馬が走ったルートにそって、龍馬通り商店街をたどると
龍馬と一緒の気分が味わえるでしょう。

龍馬は2階の「梅の間」を好んで使っていたそうです。
現在は、龍馬の肖像画や写真が展示されています。


当時の雰囲気が楽しめ、今にも龍馬が現れそうなところです。
(現在の寺田屋には、当時の「弾痕」「刀傷」や「お龍が入っていた風呂」がありますが、幕末当時の建物は
鳥羽・伏見の戦いで焼失しており、西隣に建っていたもので、所有者もゆかりの無い人に変わっているそうです)



■西岸寺

京都 西岸寺s.jpg


油をかけて祈願すると願いが叶うという油懸地蔵で有名です。
寺田屋から脱出した龍馬と三吉がこの地蔵に身を潜めた
という伝説があります。


■材木納屋跡

京都 材木納屋跡s.jpg


寺田屋を脱出した龍馬と三吉が身を潜めた濠川沿いの材木納屋。
龍馬は左右の指を負傷し、血が止まらなくなりここで動けなくなりました。
物語では、屋根の上に避難して、三吉が薩摩藩邸に走る場面が有名です。
お龍と三吉が相次いで伏見薩摩藩邸に急報。(直線距離約800m)
藩邸から川船を出してもらい救出され、龍馬は九死に一生を得ることが
できました。



■伏見薩摩藩邸跡(石碑)


京都 伏見薩摩藩邸跡s.jpg


濠川沿いに伏見薩摩藩邸跡があります。
寺田屋事件の際は、留守を守る大山彦八が藩邸前の濠川を
藩旗を立てた船で下り龍馬救出へと向かいました。
材木納屋の前の川と繋がっています。 

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2011年09月06日

坂本龍馬・東山付近観光

坂本龍馬・東山付近観光

東山・河原町周辺には龍馬ゆかりの観光スポットがたくさんあります
じっくり、龍馬の足跡をたどってみてはいかがですか。

海援隊の京都支部になった「酢屋」(材木商)って、
あの池田屋から近いです。




■京大和

京都 京大和s.jpg


京都最重要史跡の一つ!文久3年(1863)1月、久坂玄瑞、武市半平太らが集い、続く6月に桂小五郎、真木和泉ら各藩代表が集まり攘夷を話し合った「翠紅館会議」の舞台です。


■明保野亭

京都 明保野亭s.jpg


清水寺へと向かう産寧坂、多くの観光客が通るこの場所に、
龍馬の定宿の一つ明保野亭があります。
龍馬のみならず幕末の志士御用達の料亭でもあり、
池田屋残党狩りに新選組が踏み込んだ「明保野亭事件」でも有名。


■坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡(青蓮院塔頭金蔵寺跡)

坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡s.jpg


元治元年(1864)8月初旬、龍馬とお龍が「内祝言」を挙げたのがここ。
住職智息院が仲人を務めました。
しかし禁門の変直後の激動期で龍馬は東西奔走中。
お龍は寺田屋に預けられ別居生活でした。


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2011年09月05日

京都観光坂本龍馬の史跡

坂本龍馬京都での活動

京都は、幕末の中心になったところです。
特に新撰組が有名です。
全国から尊皇攘夷や開国を志す藩士が集まり、
龍馬もその一人でした。

坂本龍馬は、京都で薩長同盟をまとめるために

薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎の間を奔走し
薩長同盟を成立させます。

龍馬はお龍と出会い3年半ほど一緒に過ごしました。
そして、薩長同盟成立後、寺田屋騒動がありました。
伏見奉行の捕り方が、龍馬を捕らえにやってきたところを、
入浴中のお龍が、気付いて龍馬を逃がした。あの事件です。
そして、薩摩藩邸に入ります。


その前に池田屋事件(新撰組で有名)があり
禁門の変があり。
龍馬の盟友、武市半平太の切腹もこの頃です。

龍馬が「寺田屋事件」の時に、薩摩藩邸まで走った
龍馬通り商店街(130m)があります。

伏見は全国でも有数の銘酒どころ、京都と大阪をつなぐ
「三十石船」の船着場で交通の要所でした。
現在は観光船になっています。
薩摩藩邸から、船で龍馬を助けに来たそうです。
このあたりは、龍馬とお龍が歩いていた道です。

寺田屋の女将お登勢は、大勢の武士達の人望がありました。
龍馬にとっては活発なお登勢は乙女姉さんとよく似た存在だったようです。


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2011年09月04日

坂本龍馬・河原町・木屋町付近観光

坂本龍馬・河原町・木屋町付近観光

この辺りは、龍馬活動していたところです。
竜馬を偲ぶ史跡がたくさんあります。
龍馬の生きざまや幕末を感じろことが出来ます。




かつては高瀬川を挟んで東に料亭や船宿、
西には藩邸が連なっていました。

坂本龍馬 妻お龍の実家 楢崎家跡(石碑)
お龍は天保12年(1841)に富小路六角付近で誕生後、
家族と共にこの地に長く住みました。
お龍は父の在世中は良家のお嬢様として家事をせず、
華道、茶道などに専念しました。

■土佐藩邸跡

土佐藩邸跡s.jpg


幕末には坂本龍馬ら勤皇の志士がこの藩邸を拠点に活躍しました。
龍馬は役人が上士ばかりなのを嫌がり、ほとんど滞在しなかったそうです。
勝海舟のはたらきかけで、脱藩の罪を許されたときに謹慎した場所です。

■武市瑞山先生・吉村寅太郎寓居之跡(石碑)
吉田東洋暗殺後、藩の実権を握った武市半平太が京都留守居役となって住んだのが木屋町高瀬側沿いの料亭「丹虎」。

龍馬より早く脱藩した吉村寅太郎も隣に居を構えるも、
武市は藩主山内容堂に命じられ帰国後、切腹。
吉村も天誅組の変で戦死します。

■池田屋騒動之址碑(石碑)

京都 池田屋s.jpg


新選組は旅籠・池田屋に踏み込み、吉田稔麿、宮部鼎蔵、望月亀弥太ら
過激派の尊皇攘夷志士たちを討ち取り、京都を震撼させました。
現在は同名の居酒屋が建ち、新選組ファンが集います。



■料理旅館 幾松

京都 料理旅館 幾松s.jpg


長州屋敷の東に、桂と芸妓・幾松の寓居がありました。
現在は料理旅館ですが、敵の襲撃に備えた抜け穴や吊天井が
当時のままに残されています。

長州の京都撤退後、乞食に扮して情報収集を行う桂と
それを支えた幾松は明治後結婚。
2人の愛の物語は有名です。


■桂小五郎像(長州屋敷跡)

京都 桂小五郎像(長州屋敷跡)s.jpg


木屋町通、御池通の北に幕末の火薬庫・長州藩の京都藩邸がありました。
尊皇攘夷派の中心地であるも元治元年(1864)の禁門の変後、
自らの火でその役目を終えます。
現在は京都ホテルオークラが建ち、
桂小五郎像と長州屋敷跡の碑が建てられています。


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2011年09月03日

坂本龍馬・御所・二条城付近観光

坂本龍馬・御所・二条城付近観光

御所の北に二本松邸、西に蛤御門、東に梨木神社と御所は大きいです。
二本松邸は、寺田屋事件そして薩長同盟成立前夜に龍馬が入った場所です。



■蛤御門(はまぐりもん)

京都 蛤御門s.jpg


「禁門の変」の激戦地です。
長州の久坂玄瑞らがここで命を落とし、その後の長州征伐へと
流れが続きます。
京都御所の西側にあり門には今なお当時の銃跡が残ります!

■梨木神社

京都 梨木神社s.jpg


京都御所の東側、旧三条家邸宅跡に三条実万・実美親子が
祀られています。いわゆる実美は急進派の七卿の1人でその中心人物でもありました。


■薩摩藩二本松邸跡碑(石碑)

京都 薩摩藩二本松邸跡碑s.jpg


薩長同盟未締結を知った龍馬が怒り心頭で寺田屋から駆けつけたのが
西郷がいたこちら。
また寺田屋襲撃後の龍馬が伏見藩邸から担ぎ込まれたのもここになります。
現在は同志社大学が建っています。



京都 薩摩藩二本松邸跡碑s.jpg


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