坂本龍馬・京都・伏見付近観光
伏見で坂本龍馬のたどった道は、「寺田屋」から三吉慎蔵とともに
脱出したことです。龍馬が駆け抜けたルートにそって、
龍馬通り商店街を楽しむことが出来ます。
名神高速の京都南インターより南側になります。
JR京都駅からでは近鉄京都線が良いかもしれません。
JR線を使えば東福寺や伏見稲荷も散策してもいいかもしれません。
伏見桃山城などもあります。
龍馬がたどった
■寺田屋 ■西岸寺 ■材木納屋跡 ■伏見薩摩藩邸跡(石碑)
を表示してみました。
■寺田屋
龍馬が泊まっていた船宿。
この辺りは、三十石船が往来し栄えていました。
お龍が入浴中に捕り方に気付き龍馬と三吉慎蔵を逃がした
エピソードが有名。
三吉慎蔵・・・長府藩士で宝蔵院流の槍の使い手。長府藩より京都の情勢を探るよう命じられ、龍馬と共に伏見・寺田屋に入りました。
宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)
奈良の興福寺の僧宝蔵院覚禅房胤栄が創始した十文字槍を使った槍術。薙刀術も伝承していた。 初代宝蔵院覚禅房胤栄、2代目の胤舜(いんしゅん)の時代に、宮本武蔵が武者修行でしばらく逗留していた所として知られています。
この事件は、慶応2年1月22日、龍馬が薩長連合の密約を
成立させた翌日寺田屋に泊まっていました。
その日の深夜、薩長の不審な動きを察知した伏見奉行の
林忠交肥後守の捕り方が捕縛もしくは暗殺しようとした事件です。
龍馬らは、拳銃や手槍で防戦しながら捕り方数名を殺傷します。
このときに持っていたピストルが、高杉晋作が上海で買って護身用にプレゼントされたスミス&ウェッソンです。弾倉の交換が銃身を上方に折り曲げる着脱式のため、銃の玉を補充するときに弾倉を落としてしまいます。
自らも左右手の親指を負傷しながらも、三吉慎蔵の活躍もあり、
脱出に成功しました。
女将・お登勢は、人の世話好きだったことから、
龍馬など尊皇攘夷の志士をたびたびかくまったり、手助けをしており、
幕府からにらまれ危険人物として牢に入れられたこともある人物です。
武士達の人望が厚いことで有名でした。
今では近所の「お登勢明神」に、祀られています。
坂本龍馬が走ったルートにそって、龍馬通り商店街をたどると
龍馬と一緒の気分が味わえるでしょう。
龍馬は2階の「梅の間」を好んで使っていたそうです。
現在は、龍馬の肖像画や写真が展示されています。
当時の雰囲気が楽しめ、今にも龍馬が現れそうなところです。
(現在の寺田屋には、当時の「弾痕」「刀傷」や「お龍が入っていた風呂」がありますが、幕末当時の建物は
鳥羽・伏見の戦いで焼失しており、西隣に建っていたもので、所有者もゆかりの無い人に変わっているそうです)
■西岸寺
油をかけて祈願すると願いが叶うという油懸地蔵で有名です。
寺田屋から脱出した龍馬と三吉がこの地蔵に身を潜めた
という伝説があります。
■材木納屋跡
寺田屋を脱出した龍馬と三吉が身を潜めた濠川沿いの材木納屋。
龍馬は左右の指を負傷し、血が止まらなくなりここで動けなくなりました。
物語では、屋根の上に避難して、三吉が薩摩藩邸に走る場面が有名です。
お龍と三吉が相次いで伏見薩摩藩邸に急報。(直線距離約800m)
藩邸から川船を出してもらい救出され、龍馬は九死に一生を得ることが
できました。■伏見薩摩藩邸跡(石碑)
濠川沿いに伏見薩摩藩邸跡があります。
寺田屋事件の際は、留守を守る大山彦八が藩邸前の濠川を
藩旗を立てた船で下り龍馬救出へと向かいました。
材木納屋の前の川と繋がっています。
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posted by 京都で龍馬に出会う at 19:00|
坂本龍馬・京都伏見観光地図
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